第7回 パワートレイン部門長としての海外駐在時代

2018.12.10

第7回は、私の海外駐在時代の体験談をお話ししたいと思います。
海外研究所におけるパワートレインの部門長として、文化の違いや言語の壁に苦しみ、現地開発をしながら現地スタッフの育成と組織としての開発力強化に取り組んだ時代です。また、海外から日本を見る絶好の機会でもありました。

時代は2000年代に入り、自動車業界ではグローバル化が本格時期を迎えていました。
ホンダはさらなる成長を目指し、主力地域である米国市場の深耕をしていきます。需要のある所で作るというホンダフィロソフィに基づき早くから米国に進出して製造を開始し、さらに開発拠点を設けて開発力を強化していきました。

パワートレイン部門長として海外駐在の要請

設計部門長になって数年後に海外駐在の要請がありました。
赴任先は米国オハイオ州の四輪開発拠点で、エンジンおよびトランスミッションを統括するパワートレイン部門です。現地ニーズに合った商品は現地で現地スタッフにより開発されるべきという考え方が根底にあり、米国では部品の現地調達から出発し、商品企画やデザイン、ボディや内外装の開発へと拡充され、いよいよパワートレインやシャーシ等の機能開発へと踏み出す時期でした。

現地ニーズに合った商品開発

現地ニーズに合った商品開発の典型例はピックアップトラックの開発です。
ホンダは本格的なトラックの開発や製造の経験が無く、日本人駐在員はフレームの無いモノコックボディをベースにピックアップトラックを開発することは困難だと考えていました。一方、現地スタッフにとってピックアップは身近で使い方も熟知しています。彼らが主導して商品企画を行い、トラック開発に必要なトーイング(牽引)等の開発基準等を作っていきました。しかも、大胆にボディをカットして荷台を作りピックアップトラックに仕上げてしまいました。日本人駐在員は心配しながら見守っていましたが予想以上の出来栄えであり、販売は好調で北米トラックオブザイヤーも受賞することができました。
トラック開発を通して、荒削りですが現地スタッフのチャレンジ精神、行動力、スピード感等を目の当たりにしました。他方、日本人は概して慎重で細部の完成度にこだわり、革新よりも改善が得意です。日米両国の良さを融合した開発拠点が理想ではないかと思います。

海外拠点の設計品質を守りきるために

現地では開発の自前化に向けて日本の研究開発システムや開発プロセスを導入しており、パワートレイン部門でも同様に開発プロセスの導入途上でした。
米国は人材の流動性が高く、設計の品質と効率を高めるためには日本以上に設計プロセスの標準化が重要になります。ところが、当時は日本の設計部門においても標準化が十分ではなく、必要に応じて日本人駐在員が経験等に基づいて補っており、結果として俗人的になっていました。
開発のグローバル化も進行しています。海外拠点の設計品質を守り切るためにも、プロセスを標準化してグローバルで共有し確実に運用することが不可欠です。

現地マネジメントはトップダウンが基本

駐在中は日本を外から見る絶好の機会でした。また、米国を内から見る良い機会でもありました。
日米の各種制度や文化・習慣等の違いが想像以上に大きく、駐在中は戸惑いの連続です。
生活面では家族を含めて住宅や就学等の生活立上げに苦労しましたが、現地スタッフや地域コミュニティの親身な支援で乗り越えることができ、今でも大変感謝しています。彼らは、仕事はもとより家族や地域を大切にし、ボランティア活動にも大変熱心であり、外国人でも受け入れてくれる包容力があります。
仕事面では現地スタッフのマネジメントにも戸惑いました。マネジメントはトップダウンが基本であり、トップの意思表示が全ての出発点です。現地スタッフが納得し安心して開発に集中できるように、ビジョンや施策を整理して丁寧に説明することが重要です。
視野を広げるためにも、皆さんも機会があれば海外駐在を経験してみてはいかがでしょうか。

次回は、私の開発支援時代の体験談をお話ししたいと思います。
駐在期間数年で帰任となり、航空エンジン部門を経て久々に古巣の四輪R&Dセンターに戻りました。エンジン開発現場はラインナップの新たな刷新時期を迎え多忙を極めており、設計手戻り等の課題を抱えていました。主な原因としては、環境対応技術(低炭素化)の仕込み不足や耐久保証技術の整備不足、加えて設計プロセスの進化不足等が考えられます。
開発部隊を後方支援するために、まずは優先度の高い環境対応技術に取組むことにしましたが、上層部の説得や資源確保に苦戦し時間もかかってしまいました。改めて学んだことは、成功の秘訣は決して諦めないことという当たり前の教訓です。

技術顧問プロフィール
1979 年:東京大学工学部機械工学科を卒業 本田技術研究所(四輪)に入社
2016 年:本田技術研究所を退社 技術コンサルティング会社を立上げ
2017 年:プログレス・テクノロジーズ社の技術顧問に就任