第3回 企業成長と設計プロセスの標準化

2018.07.13

第3回は、私の中堅時代の体験談をお話ししたいと思います。失敗も多くリカバリーに必死でしたが、結果として最も成長した時期です。

1980年代、エンジンの高出力化へ進化

1980年代は、ホンダ独自のCVCCに代表されるリーンバーン(希薄燃焼)から酸化触媒等を経て、三元触媒システムの確立によりガソリンエンジンの排ガス対策に一定の目途が立ち、エンジンは高出力化へと進化していく時代でした。

ホンダは北米市場への輸出をベースに成長し、中企業から大企業へと脱皮していきます。
車種の増加に合わせてエンジン機種数も増え、二輪で培った高回転化技術を四輪に応用して高出力エンジンを開発していきます。
高出力化に伴い耐久信頼性不具合に大変苦しみます。主として強度問題や摩耗等の劣化問題です。材料技術や解析技術の進化にも支えられて乗り越えていきますが、今思えば対症療法の繰り返しでした。
後にCAEの予測精度も向上して強度問題は一段落しますが、CAEの苦手領域である劣化問題の根本解決に着手したのは30年近く経てからになります。本質的な劣化対策については、シリーズ後半で説明します。

企業成長と設計プロセスの標準化

会社の成長と共に開発部門も強化され、新人が急増し従来の個人ベースでの設計は限界となり、エンジン設計部門では技術伝承と設計品質安定化の施策として、設計プロセスの標準化に取り組みます。主要部品の設計手順書を整備することになり、私も基幹部品の手順書作成を担当しました。

部品レベルの耐久信頼性保証が主目的で、個人が持つ設計ノウハウを集約しましたが、設計根拠を全て明確にするためには一部に不備もあり、材料強度データを取得し直したり製造要件を追加したりと、1年がかりで完成させました。大変苦労しましたが標準化の効果は絶大で、若手への技術伝承はもとより、だれでも安定した設計が可能となり、耐久信頼性不具合も解消されました。
設計手順書の作成には膨大な工数がかかり、本来の設計業務が遅延することもありますので、現在なら外部の設計プロセス標準化の専門家の力を借りるのが良いでしょう。

このような歴史から、設計部門では耐久信頼性に焦点を当てた信頼性設計が主命題となりました。
信頼性の本質は必要な使用期間で機能を維持する能力で、設計制約条件の一つであり、本来はシステムの機能に焦点を当てた商品性設計が先だと気づいたのは、同じく30年近く経てからでした。
解析者との協業で、1DCAEやMBD・MBSE手法を応用して基本形を完成した次世代設計プロセスです。
ちなみに、設計者の基本的な役割は必要な機能を最小限のコストや重量で実現することであり、これを可能とする手法でもあります。新設計プロセスについては、同じくシリーズ後半で解説します。

失敗からの原点回帰 設計の基本の学び直し

エンジン機種数の増加に伴い新エンジンの設計機会が増え、私も多くの設計経験を積み重ねることができましたが、残念ながら知見不足や未熟な設計が原因で多くの失敗をしてしまいました。

製造現場を良く知らず組立困難な設計をしてしまい、量産開始時に不具合が発覚し製作所に張り付いて対策に追われました。また、材料力学の理解が甘く耐久テストで不具合を出し、量産直前で対策に走り回ったこともありました。さらに、お客様の使われ方を良く理解せず、あってはならない市場不具合も出してしまい、お客様と関連部門に多大な迷惑をかけてしまったこともあります。
これらの未熟さによる失敗を反省して、自らの設計力を高めるために信頼性保証技術や製造技術等も含めて設計の基本を広く深く学び直すことにしました。日々の設計の場で学べることには限界もあり、趣味だった二輪でのツーリングも控えて週末に勉強し、途中で挫折しないように技術士資格試験を目標にして、なんとか1年間頑張り続けて無事に資格も取得できました。
中堅時代は仕事にも慣れ大変忙しくなりますが、自分の専門性を深く掘り下げる時期だと思います。いわゆるタテ型の勉強です。ベテランになると、幅を広げるためにヨコ型の勉強が良いでしょう。

次回、第4回は、私の管理職時代の体験談をお話ししたいと思います。不慣れな管理職として責任や行動に悩み苦しんだ時代です。部門責任者への通過点として、避けては通れない時期でもありました。

技術顧問プロフィール
1979 年:東京大学工学部機械工学科を卒業 本田技術研究所(四輪)に入社
2016 年:本田技術研究所を退社 技術コンサルティング会社を立上げ
2017 年:プログレス・テクノロジーズ社の技術顧問に就任